2014年1月8日水曜日

2013 Christmas in Tacloban (The area where has hit the super typhoon)







Is this Hell? Hell where angels live…
This time the purpose of my visit to Leyte was to conduct a project involving Christmas parties for the kids who are victims of Typhoon Yolanda. We hoped that we could provide them with a good time, especially the kids who have been physically or mentally damaged. We hadn't really considered it until we held this project, but the event made smiles not just for the kids, but also their mothers. The event was a hit among both the kids and their mothers. We had around 890 participants. Through this experience I learned that mental care is really important, as well as material care. Especially for those in harsh situations.
__________________
"WELCOME TO Yolanda village". On a hand-made billboard. It's impossible to see those jokes in Japan. Japanese don't have this kind of sense of humor. In Japan, to make jokes about an incident in which many people have died is not allowed.
Even concrete buildings are missing their top half. What kind of thing can grab away a reinforced concrete building? No wonder everything flew, like roofs, humans, cars, and coconut trees, if the wind had such strong power… The sight reminded me of scenes right after a war. Apparently many dead bodies were scattered all around, then they were gathered. But some of them, which hadn’t been found by relatives, were just kept along the streets. Fortunately, I didn't see any this time.
Even now, they don't have electricity yet. The nights are deeply dark, creepy and scary. All you can see is just debris, sometimes the lights of cars. Something is going wrong. It's totally different to the case of the earthquake in the northeast of Japan in 2011.
First of all, the difference is the governments. There is little help from them here. The local residents gather the debris with literally their own hands, and carry it somewhere. I can't believe it. How many years will it take?
But even in this situation, there is no dark atmosphere here like after the earthquake in Japan. Nowhere in the Philippines. In Japan, we have a tacit understanding that we cannot mention about a disaster in a funny way. But here, even this calamity is used as a joke among people all over the Philippines. Even victims are making billboards like "WELCOME TO Yolanda village", as I mentioned before.
______________
I asked myself what can I do using the power of art and design in this situation? Is there any way of helping with art those who primary concerns are about basic needs? Is there any way of helping with art those who are craving clean water, and cover from the rain? But come to think of it, there are a lot of ways to help them. We can focus on good preventative design, and also on good design of facilities for use after disasters occur. For example, good house design to prevent major damage from disasters.




2013年11月22日金曜日

総会

年に二回の総会というものがある。
フィリピン国内に散らばったJOCVが一同に集まり、活動報告や外部・内部のお話を聞いたり意見交換したりするもので、3日間かけて行う。

私は今回英語にてこの半年間の活動を発表した。何故英語かと言うと、JICAオフィスに勤めるフィリピンスタッフにも活動内容をシェアする為。
人前で発表するとなると練習も必要で、スカイプで友達(ネイティブの友達はみんな私の先生 笑)にも聞いてもらったり1人で録音して聞いて自分なりに改善を試みた。
伝わり易い英語、魅力的な表現、トーンの抑揚、どうやって会場のみんなに少しでも「参加している感」を与えるか。発表の為にパワポデータを作り原稿を作り練習そして本番。プロセス全てが個人的にすごく楽しくて充実を感じた。

______

今は活動の方法をがらりと変える方向で模索中。
期日に対する意識が強く、プロダクト制作のプロジェクトをやり遂げた経験のある人(機関)と組めないか考えている。

______

今日はジャイカへの提出資料をひとつ仕上げたあと、デザインらしい事していました。
マンゴーバッグ(!)の模型作り。マンゴーを入れるバッグか?またはマンゴーの形?ふふふ。
イメージを絵に書いて、模型をいじりながらパターンを作るあたりが一番ワクワクする段階かもしれない。

______

明日は街に買い物に行きます。日本の友達に服を買って欲しいと頼まれたのでちょいと沢山買うつもりです。
フィリピンは服天国です。素材も色・柄も形も私好みで(ウエストがキュットしたデザインでスタイルが良く見える。ワンピースも沢山)、もちろん値段はめまいがする程安いです…。
オーダーメイドでワンピースを作ってもらっても2000円ちょい。
しわにならないさらりとした色のきれいなトップスの類は100ペソ。230円位。
安っぽいものもあるけど、作りのしっかりしたおしゃれなものも沢山あります!

_____

明日もいっぱい、自分のパワー全開で頑張りましょう。





2013年11月5日火曜日

心配事

週末は近所のマウンテンリゾートなる場所にひとりで行き、
トロピカルな自然に囲まれ ハンモックで昼寝をしたり本を読んだり…
他にお客さんがいないのもあってか、そこのオーナーさんが マンゴーシェークとディナーをごちそうしてくれました。

ここギマラスは信じられないほど毎日の気候は気持ちよく、半袖(私はキャミソールですが)で十分暖かく、そよ風が心地よい。空は高く青く。夜はちょっと寒いかな。
うん、理想。

でも現実は、総会(半年に一回、同国のJOCVが集まる発表会&会議)準備や活動、
この前の旅行のキャンセルに関する手続き(フライトの払い戻しの手続き)、紛失した貴重品を請求する為の資料集め、等々

する事がたまっています。
くじけるなみやこ!


ずっと心が弱っていて、
また心配事も多く、夜の寝付きが浅く 日中も嫌な動悸を経験します。
また急性胃炎にならないように、心配しすぎないようにしないと… 

とにかく行動あるのみ。
今夜はよく眠れますように…。

2013年11月1日金曜日

ストレス、28歳の誕生日、大切な事

私のストレスは思った以上に膨れ上がっていて私の体は悲鳴をあげた。もう耐えられないよって。

「ストレス」っていう言葉を頻繁に使うのは私のしたい事では無いが、どうしようも無くなっていた。

心配事が多くて、でも活動も思うように進んでいなくて出すべき書類も終わっていなくて
デジタル一眼のカメラもアイフォンもなくし、私の浅さが原因で大金を失う事件もあり
でも前から予定していた旅行の日にちは迫りプラン作りは不十分…

心が窮屈になって、それでも終わらせたい仕事が沢山。
時間が惜しくて夜遅くまで起きて朝も早く目が覚めてしまう。眠れないのだ。
睡眠不足で体も意識も疲れていた。それでも自分で決めた事はしつこく続けるたちなので毎日朝晩の英語の勉強やギターの練習はスキップできない。


ある日激しい腹痛で深夜床に転げ落ちた。
一件目の病院のベッドで点滴を受けながら眠りに落ち、目が覚めた時に思った事は、
「ああ、やっと眠れた…」だった。

腸チフスと急性胃炎と診断され入院した。腸チフスと診断された原因は、単に私が以前腸チフスの予防接種を受けたからじゃないかと疑っている。体調不良のメインの原因は神経性胃炎だと思う。 
退院後も胃は悪化し、家のベッドの上で猛烈な吐き気と戦い夜は唸り声をあげ、ただ眠り意識が無くなる事を祈っていた。
そしてより精密な検査の為マニラに移動。歩く事もままならない状態で飛行機なんか乗れるのかと思ったけど、イロイロ空港(私の任地から一番近い空港)に着いた途端病状はよくなる。

マニラでは病院で検査の後、処方された薬を飲みきるまでマニラのJICAドミトリーで療養。
あんなに沢山日本語の活字を湯水のようにざぶざぶとあびるように読みふけったのは久しぶり!漫画、小説、自己啓発本の類、ビジネス本…
日本の本に浸かる事。なつかしい昔の習慣。
ソファーで読みふけり、うたた寝し、食べ、また読み…
その合間にソファーからマニラのビル群を眺め、自分の心がどんどん癒されている事に気がついた。
自分の心がぱさぱさになっていた事にもやっと気がついた。
こんなにも、自分はもろいという事に。7ヶ月海外で生活する間、自分すら気がつかない部分ですごく踏ん張っていたんんだろう。それから誕生日に家族や大切な人に会えず、病院で過ごした事。その事がこんなにも私にダメージを与えるなんて予想できなかった。
外国で毎日英語を使って、好きなデザインの仕事できるなら なんだってへっちゃらって思っていた私は 自分の事を何にも分かっていない生意気な子供だった。
心が平穏である為には、伏目伏目で 自分の基盤になる部分に水を与える事を おろそかにしない事。
例えば自分の誕生日を大切な人に祝ってもらいたいとか たまには日本の本や漫画を読むとか
家族や東京が恋しいと思う事とか 
そういうのってすごく大事な事なんだなって いまさら気がつく。

日本に久しぶりに帰りたい。
You know what? 私はまだ27歳のまま。家族と一緒に安藤家のケーキを食べなきゃ、大切な人と一緒に私の選んだレストランでディナーを食べなきゃ、
私は新しい年齢になれない。

2013年10月21日月曜日

病気でダウン

13日、日曜の夜から腸チフスと急性胃腸炎を同時に煩い、16日から入院、今日退院してきました。まだ胃が痛むけど今こうやって家のベッドの上でパソコンに向かって文字を書けている事に感謝。そして左手に点滴の針が無い事に感謝。
私の28歳の誕生日は病気と戦っていた。

予定していたプーケット~マレーシア~シンガポールの旅を全てキャンセルせざるを得なかった。残念だけど旅先で体調崩すより出発前に気付けて良かった。
この一週間つきっきりで看病&色々病院での雑用をしてくれた友達のアルには感謝しても感謝しきれない。

こんな風に病気になると、人生において大事なものがよりクリアに見えてくる。
朦朧とする意識の中で、長く過ごした病院のベッドの上で 普段考えない事を考える。
人生は長いけど、余計な事に気をとらわれていると 一番大事な事をできずに終わってしまう。一番大事な人との時間も削られてしまう。

活動の方は、すごくスローに進んでいます。
なんだかすごく忙しく毎日が過ぎていきます。睡眠時間を削るせいで睡眠不足だったなーと反省…。


今はとにかく早く良くなりたい。

2013年9月4日水曜日

一緒に時間を共有する

僕は顕微鏡を使ってはならない
(自分でひとつのプレパラートになって)
僕は望遠鏡を使ってはならない
(自分の脚で距離を消し)
僕は只生まれたての眼だけで見よう


谷川俊太郎の私の大好きな詩のうちのひとつ。


今、疲れているけど頑張ってブログを書く。
分からない事が沢山だ。私はもっと フィリピン人の気持ちについて勉強するべきだった。
振り出しに戻ろう。

とにかく前回のブログにも書いたとおり、この島の人が協力的でない事に悩んでいた。
動機付けは”お金”では足りないという事実にぶつかり、どう打開すれば良いか、ヒントを得る為
とにかく自分の足でその答えを探す為にオフィスを飛び出す。
 って書いていて冒頭のこの詩を思い出した。
何かを求めたら、それが物質的なものでなくても そこ(答え)までの距離は自分のこの足で消すしかないんだとしみじみ思う。

JICAボランティアメンバー同士で近所地域内の新メンバー歓迎会があった。そこで先輩の話を聞く。

近くの街で活動しているオーストラリア人のボランティアに相談しに行く
フィリピンでビジネスを立ち上げた経験のあるフィリピン人に相談する
今は友達となった現地語の先生だった人に会いに行って相談する。

それで、色んな事が見えて来た。
私は間違ったアプローチの仕方をしていた事。
今回分かった事実

1、彼らにとってお金は3食食べる為のものであり、それさえ手に入っていればそれ以上のお金には興味が無い。
2、友達や家族の繋がりが大事。彼らと友達になる為に定期的に(一日おきなど)彼らと一緒に過ごす事で後々協力してもらえるようになる
3、臨時収入、永続的でない仕事だと思うと後回しにされる。ずっと続く収入源になると分かってもらう為のビジュアル的なプレゼンや、話が必要。
4、彼らにとって「デザイナーに与えられたデザインを頼まれたから作った」とではなく「自分達(コミュニティー)のオリジナル商品の開発をボランティアが手伝っている、全ては自分達の企画・デザインである」と思ってもらえるようにする

前にも聞いたような内容だけど、全然できて無かったなーと反省…。
私なりに彼らの技術をリサーチして、マーケットと消費者のニーズも考慮した上で
デザインを提案したつもりだったけど…
 コミュニティーの人にとってはデザインの良し悪しなんかどうでも良いし興味が無い。それよりもプロセスや気持ち、達成感、”自分の商品”という愛情・・・といったものの方が大事。

振り出しに戻ろう。
とにかく何も無くても通うんだ。片道1時間近くかけて。
紙とペンだけ持って、彼らとお喋りをしながら 何か書いたり
編み方を教わったり
そうやって ”油を売る、無駄話をする事” が必要だったんだ…。

私のデスクの置いてあるオフィスの受付の女の子の言葉を思い出す
「私にとってお金はただの紙切れでしかない。お金をくれる人よりも私は私と一緒に時間を共有してくれる人が大事」
・・・・・
 大事な時間の使い道を、あなたと一緒にいる事に費やす事を選ぶ。これって確かに一番の愛情表現だよなってしみじみ思う。

2013年8月29日木曜日

セブ島へ ギマラスでのもの作り

今月の新作はTシャツです。
___________

今月はセブ島へ。スキューバダイビングをしに来ていた姉に会う。それからファッション業界を覗く。

姉とはボホールへ。久しぶりだったから積もる話が沢山!
 本当に人との出会いに恵まれています。
姉が日本に帰ってからはフィリピン人の友達に連れられセブ島のファッションスクールにお邪魔し、撮影現場に立ち会ったり
アーティストの集まるカフェでアーティストや作家の人と話したり
フィリピンと日本の架け橋をしている日本人の女性起業家の方に会ったり(ギマラスで作ったファーストサンプルを持って行って見せる。)
もちろんナイトライフもチェック。
ギター工場でお土産のギターも買い。

ビーチに一回も行かなかったけど(爆) 充実した4日間だった。仕事に繋がっている部分が大きいので満足。

普段は相変わらずオフィスに出勤しジャイカに提出する書類を作っている。
この7、8月は書類作りで終わる。
早くデザイン画書いたり 次のサンプルが見たい!
 
 ところでここではやはり物作りが遅い…。何かしら言い訳があるのね。
病気だから作れない、今は他からの注文の品を作っているから作れない、材料が足りないから作れない…。
こちらも締め切りがある訳ではないのであまり急かす事もせず。しかし待っていても2年間終わってしまうので、あちらの言い訳をこっちの努力でつぶすしか無い!と思い
材料をこちら側で買い付けて、メーカーのコミュニティーに提供する事に。
 で、材料を作っているコニュニティーに行く。はるばる40分ほどかけて…
そしたら値段を調べるからまた後で連絡する、との事。値段を知っている人が今いないから、と。(え、他の人は知らないの?)
 そしてセカンドサンプルを作る為にそのロープ状の材料が何メートル必要か調べる為にまたメーカーのコミュニティーに行って聞かなければ。
日本だったら電話で聞けば確実な情報が得られるけど、ここでは人が適当な事を自信満々で言うシチュエーションが多いから、作った人に直接会うのが得策なのだろう。
(例えばデパートに行ったら、私の同じ質問に対して店員さんそれぞれ全く違う答えを自信満々で笑顔で答えてくれます。間違い/正しいっていう問題よりも笑顔や人当たりの方が重要なんだろう。)
 
 本当に、先進国のようにシステム化していない。いつでも電話に出て いつでも社員が商品の基本情報を把握していてお客様に正確に伝えられる。その事がどんなにすごい事か。
ここでは人々は何をするでもなく、そこらに座っている。つまり時間だけは、ある。
商品を売る事に日本ほど情熱が無いのかな?「みんなで情報を共有しようよ、注文にはいつでも答えようよ!」 っていう発想は無いのかな?

でも、みんな良い人達なので否定をするつもりはない。
やっぱり国民性なのかな。

とにかく私が 動く&把握する&指示するを毎日続けなければ。
何が彼らの動機付けになる…? やっぱりお金か?