2013年7月2日火曜日

「シェアする」情熱

I'm happy that I'm blessing with good people in here.

人に恵まれていて感謝。
今日も友達の家にお邪魔しておばさまと一緒にもくもくとアクセサリーのサンプルを作る。
友達の内のひとりMは私にいつも刺激をくれる。
私と同い年っていうのもあるのかな、彼女の事は「遠い成功者」とは思えない。彼女が私に見せる英語のビジネス哲学本は、今まで私が見て来たどの啓発本より真実味を帯びて見える。
「人をインスパイアーするんだよ、情熱をお金に変えて、幸せな形で人を助けて自分も幸せになるんだよ」と言う彼女。

夕べスティーブジョブスのスピーチをまた見ていた。彼のスピーチが人を感動させる理由のひとつは、彼は自分の愛する事に取り組む事を恐れなかったから。一寸先も見えなくても。

私の情熱(愛する事)って何だろう、と原点に振り返る。
人に出会う事。今まで考えもしなかった価値観に出会う事。ものを作る事。きれいなものを見る事。
今、新しい情熱が生まれている。それは「シェアする」という事。
時間を、感動を、夢を、食べ物を、自分の特技を。それらは少しの努力が必要だけど、人間の幸せの原点ってここにあるんでは、と考え始める。

私が私の頭に生まれる新しいプロダクトのアイディアは、たいてい実際もう頭の中で完成している。細部まで、素材も手触りも重さも。(これは前からそうだ。高校生くらいの頃から。何かを作る時。)
つまりそれを現実のものにする理由は無かったりする。私はそれをじっくり観察する事ができるから。頭の中で。宝箱にしまってある宝石をひとりで楽しむようなものだ。または絵を書けば良い。デザイン画を。それに忠実な。
でもそこに「これを他人とシェアしたい」という情熱が加わればそれを作るしか無くなる。逆に言えば、その情熱が無ければそれらのアイディアは日の目を見ない。

私はファーマーでは無いから、作ったお米をシェア(分け与える)する事はできない。コンピュータのエキスパートではないから、技術をシェアする事はできない。歌を歌ってその音色をシェアするのも私の専門ではない。
私がシェアできるのは、私の頭の中にあるアイディア/プロダクト、絵を書く技術だけ。

なら、それを提供しなきゃ。シェアしなくては。彼らにとってハッピーな形で。ここでは周りの人が私にいつも何かをくれるししてくれる。だから自然とそういう気持ちになる。

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そもそもボランティアで来ている以上この考えは基本的なものだけど、この国のこの小さい島に住んでここの住人に囲まれ、実際に肌で感じて心で反応する自分の素直な気持ち。
「分け与える」「シェアする」事が理性ではなく情熱に変わりつつある。

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今日見たきれいなもの

きれいなものではないけど、友人のひとりLの英語の話し方と発音はゆっくりしていてとてもクリアで良いなあといつも思う。
RとLはもちろん母音のバリエーションもきちんと使い分けているから安心して話を聞ける。この国ではこういう人はけっこう珍しいのだ。私もそんな印象を相手に持ってもらえるような英語を話したいなと思う。

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